出版および出版関連産業ではたらく人々の労働組合連合体

出版産業

【講演録】アマゾンと日本の出版流通

 
本が店頭に並ぶのは平均1週間
   では、「アマゾンを作ったジェフ・ベゾスとは何者なのか?」ということから考えたいと思います。日本の場合、書店にしても出版社にしても、業界内で育ってきた人が創業するパターンが多いのですが、ジェフ・ベゾスは違います。出版業界にとってはアウトサイダーです。彼は出版業界とは特に縁がありませんでした。プリンストン大学で専攻したのはコンピューターと電気工学。卒業後に就職したのは金融企業です。
 ベゾスが金融の世界にいたとき、世の中で注目を集めつつあったのがeコマース、つまりインターネットを使った一般消費者向けの流通でした。そこでベゾスが目をつけた商材が書籍でした。アメリカの出版流通は書籍と雑誌が別になっています。雑誌はほとんどが出版社からの定期直接購読です。8割が直接購読で、書店やスーパーマーケット、ドラッグストアなどでの販売が2割。書籍は書店で売られています。ペーパーバックなどのマスマーケット商品は、スーパーマーケットでも売られていますが。ジェフ・ベゾスは書籍に目をつけました。
 ジェフ・ベゾスの狙いはeコマースのビジネスです。eコマースに最適なものは何か。探していくうちに書籍に行き着いた。書籍に目をつけた理由はいろいろあるでしょう。腐らないし、運搬するときも精密機器ほどは気を使わなくていい。アメリカは再販制がありませんが、アウトレット市場が充実しているので、売れ残ってもそこはなんとかなるだろう……というようなことをベゾスは考えたのでしょう。
 ジェフ・ベゾスが日本への進出を準備していたころ、TRC(図書館流通センター)の石井昭さんから雑談的にお話をうかがったことがあります。ベゾスは「大手取次を買収できないだろうか」と石井さんに相談したという。実際、ブックサービスに買収を申し入れて断られています。ベゾスとしては、アメリカで日常的におこなわれているM&Aのひとつのつもりだったらしい。でも、トーハンや日販をアメリカの企業が買収したら、大変な騒ぎになるでしょう。ベゾスは「何で買えないの?」と首をかしげ、石井さんは「買えなくはないかもしれないけど、それをやったら大変なことになるからやらない方がいい」と返す、というような対話だったそうです。日本で書店をはじめるとき、「取次を買っちゃおう」と考える人はあまりいないでしょうね。
 アマゾンが上陸する直前、つまり17〜18年前ですが、出版業界の人と酒の席で「アマゾンが日本に進出してくるらしい」という話になると、たいてい「ジェフ・ベゾスはバカじゃないのか」という声が出ました。「絶対に失敗するよ」「うまくいくわけないよ」と言った。私も含めて。
 なぜアマゾンが失敗すると思ったのか。まず第1点は、アメリカと違って日本には全国津々浦々に書店があるから通販なんて必要ない。1999年ごろは約2万2000店ありました。人口比ではアメリカの4倍くらいですね。ただこれは、単純な比較をすべきではありません。日本の書店、とりわけ零細書店は雑誌とコミックが中心で、書籍中心のアメリカの書店とは性格が違います。日本の2万2000店の書店のうち、「ブックストア」といえるものはどれくらいあったのか。
 アマゾンが日本で失敗すると考えられた第2点は、日本のすぐれた取次システムです。約4000の出版社から出る1日平均300点の新刊書籍を、全国2万2000店の書店に配本して返品も受けつける。それ以外に雑誌もある。5万店のコンビニもある。物流だけでなく、お金の清算もするし出版情報・販売情報も出版社や書店に流す。こうした取次システムはアメリカにはありません。アメリカは出版社と書店の直取引が主で、取次は補完的な役割を担うだけです。
 3つめとしてよく言われたのは、「そもそも本って現物を見て買いたいよね。ネットで表紙の写真だけ見て買う人なんているわけがない」。さらに、カード決済がまだそれほど一般的ではなかった。ネットでカードを使うことへの抵抗感が非常に強かった。
 このようにたくさんの点を並べて、「日本の出版流通はすぐれている」「アマゾンの日本進出は絶対に失敗する」と私も得意気に言っていたものです。そうそう、こんな話もありました。「ジェフ・ベゾスは事情をよく知らないので、漢字文化圏はすべて同じだと思っている。中国をはじめ漢字文化圏に進出する足がかりとして日本進出を考えているのだろう。日本に進出すれば、中国にも台湾にも進出できると思ってるらしい。バカだねえ、やっぱりアメリカ人は」と。
 ところが、あっという間にアマゾンは成功しました。しかも、我々出版業界人が真っ先にアマゾンを使い始めました。いまアマゾンがなくなっていちばん困るのは、日本の出版業界人じゃないか。何年か前、都内の某書店で、作家や評論家、学者をゲストに、連続トークイベントを開催したことがあります。司会は私。その書店の関連会社だった出版社が講演録の書籍化を目論んでいました。テーマは書店と本について。ところが数回やったところで中止になりました。ゲストに「よく行く書店はどこですか?」「どこで本を買いますか?」と聞くと、みんな「アマゾンです」と答えます。リアル書店でやっているトークイベントなのに。これでは本にできない。
 なぜ予想は外れたのか。あるいは、「アマゾンは失敗して欲しい」という期待はなぜ裏切られたのか。まあ、予想はたいてい外れ、期待はいつも裏切られるのですが。
 アマゾンが上陸してはっきりしたのは、「本屋さんに(欲しい)本がない」という現実です。あるのはどこも同じ本ばかり。ベストセラーとタレント本と文庫、コミックだけ。これを私は「金太郎飴化する書店」と呼んで顰蹙ひんしゅくを買いましたが……。今でも状況は変わりません。その現状に満足できない人がアマゾンに行った。「どの本屋も同じでつまらない」と思ってる人はアマゾンで本を買う。
「本屋さんに(欲しい)本がない」理由のひとつは、本の短命化です。売場1000坪の超大型書店副店長に、「1点の新刊が店頭に並んでいる時間はどれくらいか」と訊きました。平均1週間だそうです。店頭に出して半日もたたずに返品するような本もあれば、ロングセラーとして何ヵ月も並んでいる本もあって、その平均が1週間ということです。かつて私は『セゾン文化は何を夢見たか』という本を朝日新聞出版から出したことがあるのですが、書くのに足かけ12年かかりました。12年かけて1週間しか店頭に並ばないというのは、「オレの本はセミか?」と言いたくなります。それくらい本が短命化しています。なぜ世紀末になって本が短命化したのかについては、別のところで書きましたので説明しませんが、読者にとっては切実な問題です。書店の店頭で「こんど来た時に買おう」なんて思っていたのに、翌週行ってみると見当たらない。そこで書店に注文しようとしたら入荷まで2週間以上かかると言われ、しかもその後、版元品切れ重版未定だという連絡が来た、なんていうことが全国の書店店頭で起きている。そういうことが積み重なって不満を抱いている人は、アマゾンを利用するでしょう。
 アメリカでネット通販が成功したのは、開拓時代からシアーズのカタログ販売などで通販が根付いていたからであって、現物を見て買うのが主流である日本ではうまくいかないだろうとも言われました。しかし、日本の消費者もテレビショッピングなどで通販に抵抗がなくなっていた。カタログハウスの「通販生活」も成功しています。テレビでもラジオでも、番組なのかCMなのかわからないほど通販が広がっています。日本はいつのまにか通販天国になっていた。本の通販が成功する土壌というのはすでにあったのだと思います。
 アマゾンによって日本の出版流通の問題点が顕在化しました。アマゾンが寝た子を起こしてしまった。出版業界の中にいる人が思っているほど、日本の読者・消費者は出版業界の現状に満足していなかった。「もっと便利なシステムがあるよ」とジェフ・ベゾスがアマゾンを見せた瞬間、日本の出版流通は色あせてしまいました。いちど色あせてしまうとアラが目につくようになる。それくらい読者は敏感です。ところが日本の出版業界は鈍感だった。あるいは傲慢だった。日本の流通システムは世界一だと自画自賛して胡坐をかいていた。読者は満足していなかったのに。  
よくアクセスされるページ